暇を持て余した主人公の高貴な遊び。今村夏子『むらさきのスカートの女』
※この小説では人は死にません。
主人公の「黄色いカーディガンの女」は、いつも公園のベンチで見かける「むらさきのスカートの女」を観察している。近所で「むらさきのスカートの女」は有名人で、誰も彼女と知り合いではないのに、みんなが「むらさきのスカートの女」のことを知っている。
「むらさきのスカートの女」は公園で遊ぶ子供たちの罰ゲームの対象にされているし(ジャンケンで負けたらベンチに座る彼女にタッチしなければならない)、公園のベンチは彼女のために空けておかなければならない。
おそらく、「むらさきのスカートの女」は社会不適合者で、友達もいなければ職場でうまくもいっていない。主人公は、そんな「むらさきのスカートの女」と友達になりたいと思っている。
友達になるためにはどうすればいいか。主人公は「むらさきのスカートの女」が自分と同じ職場になるように誘導する。
主人公がずっと「むらさきのスカートの女」を観察しているので、この人暇かよと思う。ずっと尾行めいたことをしているにも関わらず、主人公は「むらさきのスカートの女」に認知されていない。あとでわかることだが、主人公は長年勤めている職場でも影の薄い人物で、存在感を消すことが得意なのだ。
もし国語の教科書でこの小説が取り上げられて、「作者の意図を説明しなさい」と問われたらなんて答えたらいいかわからない。そんな小説だった。