かわいい表紙に騙された。怖かった。『みんなこわい話が大すき』尾八原ジュージ
知らない作家さんの本を読むのって、少しだけ勇気がいる。それはまるで、知らない料理を出された時、最初の一口を食べる時のような感覚だから。
本書が書店に並んでいるのを見つけて、知らない作家さんだなと思いつつも、帯の売り文句に惹かれ購入。『近畿地方のある場所について』の作者、背筋さんが帯でコメントしていたのだ。あのような怖い話を書いた人が勧めているのだから、面白いだろう。
小学校低学年の頃、こんな経験をしたことがある。友人Aが「こりすちゃんとB子ちゃんの顔ってすごくかわいい。私整形して、二人みたいな顔になりたい」と言ったのだ。私は「子供のくせに整形?」と思ったのだが、B子ちゃんは「私もこりすちゃんとAちゃんの顔に整形してなりたい」と言い返したのだ。
私は子供ながらに、「子供のくせに整形だなんて、何を言っているんだろう、この二人は」と思った。そして、「私は親からもらった大事な顔だから、整形したいと思わない」と言った。次の日からなんとなくその二人に避けられるようになった。
なぜいきなりこんな話をしたかというと、本書にも似たようなことが描かれているのだ。
両親から愛されていないと感じるひかりは、自宅の押し入れの中に影みたいな妖怪(?)ナイナイを飼っている。小学校で人気のあるクラスメイト、ありさに怖い話が好きか聞かれ、嫌いと答えると、翌日からひかりはいじめを受けるようになった。学校にも家にも居場所のないひかり。唯一の友達であるナイナイが心の支えとなる。
私も幼少時、ぬいぐるみを心の支えにしていたので、ひかりの気持ちがすごくわかった。誰でもそういう経験はあると思う。ぬいぐるみだったり、ペットだったり、イマジナリーフレンドだったりが励ましてくれていた時期があったと思う。
女の子同士のいざこざって、デリケートで気を遣うし、やっかいだ。
ナイナイはただのイマジナリーフレンドだと思って読み進めていると、ありさに取り憑き、物語は急変する。ありさはひかりに親友のように接し、周りのクラスメイト、きつく当たる母親までもが、ひかりに対して優しくなったのだ。まるでお姫様かのようにひかりを立てる周囲の人間に対し、当の本人は気味の悪さを感じる。
そんなひかりサイドの話と並行して、霊能者、志郎貞明サイドの物語が描かれる。彼は「凶事」を予言し、時としてそれを退けることを生業としていた。
全く無関係に思えるそれぞれの物語が、共通の呪いへと繋がっていく。
いやぁ、人間って怖いなと思える一冊だった。と、一言で締めくくりたかったのだが、そんな安直な物語ではないなと思い、追記。映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観て同じことを思ったのだが、呪いを発動させるのって、弱者としていじめられてきた者なんだよね。虐げられてきたことの恨みつらみが重なって、呪いとなって加害者へと向けられる。その呪いの先は加害者だけに留まらず、周囲の人たちも巻き込まれてしまう。
弱者いじめって、社会全体の問題なんじゃないかと思った。いじめをする側の人間にも、何かの被害者であるという面があって、その憂さ晴らしとして自分より弱い別の弱者をいじめる。そう考えると、この世の中は呪いで溢れている。
私が前半に記載した整形の話に戻ると、私の友人は日本に蔓延しているルッキズムの被害者なのだ。大人になってから思うと、彼女たちは自分の親から「顔に関わらず十分にかわいらしい子」というような言葉を掛けてもらえなかったのだろうか。それとも、そんな深く考えずに「整形したい」というセリフをどこかで聞いて、真似したかっただけなのだろうか。
そんな風に、子供の頃のことを思い出させる本だった。この一冊でも完結しているが、ひかりのその後の成長が気になる。続編が出たら読んでみたい。