「ぶつかったる」主人公に共感しかない!高瀬隼子『いい子のあくび』
※この小説では人は死にません。
歩きスマフォをしている人が向こうから歩いてきて、真っ直ぐ前を見ながら歩いているこちらが道を譲らなければならない。本来なら、お互いが避けるべき場面であるのに、「周りが避けてくれる」という甘えで、歩きスマフォの人は自分だけ一直線に歩いてくる。そんな不条理に、主人公の直子は信念を持って道を譲らないことを決意する。
スマフォを見ながら自転車に乗っている中学生や、歩きスマフォをしている大人たちに、道を譲らないという選択を取る直子。自分が怪我をしてまで、その行動をやめられないのだ。
東京の街を歩いていると、主人公の気持ちが痛いほどわかる。なんで歩きスマフォしているやつの代わりに、自分が道を譲ってやらないといけないんだろう。特に意識をし始めるとやってられないから、具体的に数えているわけではないが、多分毎日、不条理にこちらが道を譲っている。
直子がそういうやつらに対して「転んでひどい怪我をしてしまえ」と、心の中で呪っている気持ちもわかる。
普段、連続殺人ばかり起こるミステリー小説を読んでいる私は、このまま主人公が「歩きスマフォをしているやつ専門の当たり屋」になって、都内各所で事件を起こし、その発生現場を点と線でつなげば、北斗七星になる、これは名探偵への挑戦状……という展開を妄想したが、タイトルが『いい子のあくび』であるとおり、直子はいい子なのだ。殺人事件にまで発展しない。途中で「ぶつかりおじさん専門のぶつかりおじさん」が現れて、強力なタッグを組んだりもしない。むしろ、主人公はいい子すぎて、道端で苦しそうにしているおじいさんに声をかけたりしている。
いい子でいることが割に合わないことに、やるせなさを感じた。
直子はしきりに「心の中で汚い言葉を吐いている自分は嫌な人間だ」と思っているが、そうじゃないと思う。だって、その人の善悪は行動で決まるからってダンブルドア先生が言っていた気がするから。
表題作のほか、「お供え」、「末永い幸せ」が収録されていた。
「お供え」では、何年も勤めている会社の人間関係について描かれている。言葉にするほどでもない、少しもやっとする日常。そこで働いている人たちをうっすらと嫌う描写がリアルだった。
「末永い幸せ」で描かれる結婚式がばかばかしいと思う気持ちは、現代人なら結構抱えている人は多いのではないか。
作者の芥川賞受賞作である『おいしいごはんが食べられますように』は、一ページ目でイラッとして読めなかった。よくある職場のイライラ感が丁寧に描かれていたからだと思う。本を読んでいる時ぐらい職場を忘れたいのにと思った。
しかし、本書は書き出し一行目が「ぶつかったる」だったからか、読み進めることができた。強気な主人公が好き。主人公の気持ちに共感できる一冊だった。